Youth man and the Sea

写真、フィルム、デジタル、音楽、それらの戯言

積立


君は帰ってきた俺のポケットから小銭を叩き出し、瓶詰めしていく。
悪びれる素振りもなければ、ボールを待つ犬のように屈託がない。

ある日もう少しで、蓋に付きそうな時に空っぽになった。

季節が来て去り、また蓋に付きそうになった時に。
「この分と前の分で旅行にいこう」と言った。

いつだって君は俺に幸せの在り方を教えてくれる。
小さな物を、大切に積む。それが大きな物になる感動が幸せなんだ。

揺られる旅


ただただ、揺られる。

ガタンゴトン、「次はー」、プシュー、ガタンゴトン、「次はー」、プシュー。

それらの音が、何度も何度も繰り返す。
中々進まないように見えて、確実に進む。

そして、その日の終わりに目的地につく。
すると、「もうこんな時間になっていて、目的地に着いたんだ」と吃驚する。

好きだけ寝ても、好きなだけ本を読んでも、何をしても良い。
その裏で、確実に終わりへ進む。

無限なようで有限なんだ。人生と酷似している。

でも、まだ途中。
あの娘のとこに帰るまで、気をつけて。

田舎の街

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知らない街に来ると、不思議な気持ちになる。

ここには、俺が何をしようと左右されない人ばかりだ。

 

仕事のミスも、浮気も、喧嘩も、何なら人を殺しても、この街の人の人生に何も左右しない。

自分の影響力がいかに、限定的で小さなものか思い知らされる。

 

勘違いしそうな時がある。

人の人生を左右できるほどの強さは何もないのだ。

近しい人間もつまり決めるのは、その個人で俺はせいぜい出来ても批評だ。

 

慎ましさを忘れないように、そう思った証にシャッターを切る。

今年見に行ってよかったもの

今年はファインダー越しに色々みた。
綺麗な物もはあれば、そうじゃない物も。

ファインダーを噛まして変わる世界もあれば、何も変わらない世界も。

どこかに行けば、綺麗な写真が撮れると言うのは、まやかしだ。
目の前の人生を愛しさえすれば、良い写真は日常から生まれると思う。

どこに行くにしても、日常からの旅でありたい。日常に帰結してほしい。
旅のスタートは、いつも彼女の靴がある、玄関であって欲しいんだ。

朝暮


7:08。
読みたくもない村上春樹と、濃い血液みたいな珈琲に腐葉土みたいなパン。

朝が来る。
フィルムは少しだけ残している。帰り道に線路を撮ろうと今は考えている。
それも多分、忘れるような気がする。

恥ずべきことだが、俺は良く忘れてしまう。
20歳前後で5人目に肌を重ねた、歯の矯正をしてた2つ年下のあの娘。
輪郭が滲みながら、顔は浮かぶ。ただ、名前は思案しても堅牢な深い霧の中。
もし彼女が俺の事を覚えていて、俺だけが忘れてるなら罪悪は大きい。

8:28。
100頁弱を読んで席を立つ。
コップの縁に珈琲の跡が残る。

4人目のあの娘の名前は忘れたが、情事の場所と内容は覚えている。
もし彼女が俺の事を覚えていて、俺だけが忘れてるなら罪悪は大きい。

おかけになった電話は。

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しなきゃならない事としたい事を混ぜて、脳みその中でシェイクする。
クリームソーダみたいに、粘つく気泡が頭蓋で爆ぜる。

全てが上手くいくが気する夜に限って君は電話にでない。
一駅手前で、突発的に降りて知らないけど見覚えのあるコンビニで珈琲をいれる。

100円をドリップして夜に匂いをつけよう。
煙草を辞めてから、怖くなった沈黙。
肉体的な遠回りが精神的な近道になるって最近、痛感してるよ。
と留守番電話に吹き込み、2丁目の角を曲がっていく。左足。