ループミュージックのような既視感と、日常の類似性について
ずっと同じ場面を見ていると、既視感に酔う時が出てくる。
しかし、酔うというのはネガティブな感情だけではない。
ループミュージックのように繰り返しが気持ち良いこともある。
歯磨き、仕事、昼食、夕闇、ランニング、会話、TV、枕。
同じものが同じタイミングで生活に現れて、消えていく。
明日もくる、明後日もくる、昨日もきた。
すると少しずつ麻痺していく、興奮が失われ高揚感もなくなる。
最後は、これが現のことなのか意識しなくなる。
「生きてるか」と問いかけなくても、生きている。
命が永遠に続くように気がする。
それはあくまでも気がするだけで、いつかは消えゆくんだ。
良く忘れがちになる。
お金があって、服があって、ご飯があって。
友達がいて、恋人がいて、空気と水と愛が飽くほどある。
忘れることは最も簡単なのに、思い出すのはこうも難しい。
死は突然訪れるのではなく、緩やかに侵食する。
なんて、悲しい。それも端から忘れるんだけど。
SLAVE
「結婚は人生の墓場だ」
少し俺が思う感覚は違う。結婚は確信犯での服役に似ている。
多くのことに制約がつく。例えば、他の女性には触れれなくなり。
どれだけ足掻いても、あの頃より、夜は短くなる。
子供が出来ると行動範囲は短くなり、金銭も時間も消失していく。
こう書き、書いたそれを眺めると、悪事のように思う。
ただ、間違っていけないのは、殉教徒のような感覚が得れるということだ。
凡ゆるものを、定めに従い断つ。この恍惚は、多くの悪事と引き換えで得る意味がある。
悪いことと、端から理解して犯しているんだ。
そこを間違えないでほしい。
愛の持続性
ずっと、愛しくあることは難しいかもしれない。
でも、ふとした時に湧き上がる感情の強さに驚く。
俺のわがままに笑顔で受け入れていく、君には頭が下がる。
ありがとうと言うのもおこがましい気がする。
諦めつつ、俺の人生を肯定しゆく君に末長く甘え続けたい。