Youth man and the Sea

写真、フィルム、デジタル、音楽、それらの戯言

「道々、考える」


どれが「正解」な道かは、いつもよく分からないけど、それは道半ばに「正解」だったと思えるようにすれば良いと思う。

例えば、少し前の話。助手席で、俺のアルバムを聴きながら難しい顔で歌詞を追いかけていた彼女。その姿は微笑ましく、それを思うと、今でも胸が甘くなり、ここまでの全てが「正解」な気がしてくる。俺は、悲しくも喜ばしくも、心底、単純な人間だ。

また、普段とは違う場所でライブをして、フロアが静かになり、ゆっくりと熱を帯びる瞬間。鳩尾に高熱が上がってくる、あの興奮。やはり、ここまでの全てが「正解」だったんだな、と思う。

あの-多くの決断が差し迫りながら、どうするか決めあぐねていた-夜に、小さめなスクリーンに映ってたラストシーンのセリフ「道々考える」という言葉がよぎる。

仕事終わり、染みたっれた今日に捕まらないように、暗く狭い映画館の端の席に滑り込み、息を潜めて見た、あの映画。

「道々考える」ほんとに、その通りだ。

若い頃は決断のたびに「正解」を選ぼうとしてた嫌いがある。
今は「正解」を選ぶんじゃなくて、選んだものを「正解」と言えるように生きてきたい、と強く思う。
そのためには、慎重に選んで、勇気を出して捨て、自分をよく理解し、窘め、諭し、そして愛する必要がある。
上手く出来る時もあれば、まったく上手くいかない時もあるけど

それでも、とりあえず、俺にも俺とすれ違う人たちにも、いい週末を。