Youth man and the Sea

写真、フィルム、デジタル、音楽、それらの戯言

俺の日常は祝福されている。

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俺の日常は祝福されている。

多くの不幸や悲しみを、呪い殺して、俺はここまで来た。

 

もし、俺の祝福を邪魔するものがいるのであれば、

さらに大きな、祝福を持って、俺は俺自身を幸せに導いてく。

 

つまり、今日も美味しい晩御飯を、彼女と二人で狭いキッチンで作るということだ。

 

夏の夜に集る紙魚。

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涼しい風が頬を撫でる。

まるで少女のうなじのように、純白な風だ。

 

初夏はいつでも、新鮮であり、肉体と精神を若くしてくれる。

少年の額ような太陽に、初恋の恋文のような若々しい木々の葉。

 

ファインダーを覗き、さらにメガネを挟み、そして銀塩に焼き付ける。

そうでもしないと、俺は「若さ」を直視出来ないほど、年老いたのだ。

 

若さに、畏怖を感じる時がある。

河原で何をするわけでもなく、夜を待つカップル。

愛の永続性を、頭ではなく心で信じてる二人。

それを覗くと、老婆心ながら不安になる。

 

人生は有限である。

眠りは死の従兄弟であり、沈黙は死の息子だ。

夜を待つのではなく、迎えにいく。

そして、多くの人と、多くを語らう。

 

夏の夜は息が長く、まるでバードマンのカメラワークのように、切れ間なく続く。

白いヘインズが汗を吸い、草臥れるまで遠回りをして進もう。

季節によって、言葉は紡がれる。

 

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季節によって、言葉は紡がれる。

前方に太陽があるときに、影は視界に入らない。

まるで、日常が輝きますと死が姿をひそめるように。

ただ、確実に、足元に死はまとわりついている。

 

夜の底に、トイレにいく。

戻ってきてみると、彼女の毛布が剥がれていた。

可哀想だったので、彼女に毛布をかけ抱き寄せた。

すると、俺の胸に2度顔をこすりつけ、彼女はまた寝た。

 

季節によって、言葉は紡がれる。

忘れていくことすら、忘れていく。

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思い出は冷たい奴で、感情が呼んでるのに定時通りには顔を出さなかったり、時間を違えて、さもしい夜にやってきがる。

 

俺は賢しいふりをしているだけの人間なので、多くを忘れていく。

そして、誰かに、同じことを何度も聞く。

 

写真を撮り、歌詞を綴り、それでも忘れてく。

 

一番長く付き合った彼女のシャンプーの銘柄、死んだあいつから貰ったオイルライターのロゴ、

シンガーのあの娘と別れた後にみた映画のラストシーン、

図書館でたまたま借りて偉く気に入ったハードボイルド小説のタイトル、

あの夜になぜ死なずにすんで、なぜ今も生きれてるか。

 

そして、多くの穏やかな日常に、この身を浸してると、忘れてくことすら忘れてく。

沈黙は死の息子なのか

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音楽が忙しくて、更新がないがしろになってました。

 

アルバムができ、少し落ち着いたし、何かを書いていこうと思います。

言葉を紡ぐのは、俺にとってライフワークであり、ここは俺の感情の源流に近しい場所です。

 

観客がいないのに演じる役者がいた場合、それは演じているのではなく本人の性分なのでしょう。

見る人がいるかもわからない、暗闇に話しかけ続ける。

そういった、キチガイじみた行為があり、初めて暴力的なこの世界との調和を保てるのです。

俺は、独り言を残す嫌いがあります。ただ、 SNS スクラブル交差点みたいなところです。

もし、そこで羞恥を行えば、望まぬ声が耳に入る。

ここは、路地裏のカウンターしかない、小さな BAR のようなものだ。

 

さぁ、また、緩やかにペンを走らせ、キーを叩き、画面を撫で、単語を、文章を、句読点を、引き連れ、自分と向きあおう。

 

無理にとは言いません。

週末はあなたはお忙しいでしょうから、平日の夜の底に、寝れない夜にでも、覗いてみてください。