俺の日常は祝福されている。
俺の日常は祝福されている。
多くの不幸や悲しみを、呪い殺して、俺はここまで来た。
もし、俺の祝福を邪魔するものがいるのであれば、
さらに大きな、祝福を持って、俺は俺自身を幸せに導いてく。
つまり、今日も美味しい晩御飯を、彼女と二人で狭いキッチンで作るということだ。
冷たい微熱をひきつれ、くたびれた夜を歩きつつ、思うこと。
俺は薄情な人間だ。
もう面倒くさいものには首を突っ込まない。
1人で生きてくには長すぎるが、誰かに構うには短すぎる。
夏の夜に集る紙魚。
涼しい風が頬を撫でる。
まるで少女のうなじのように、純白な風だ。
初夏はいつでも、新鮮であり、肉体と精神を若くしてくれる。
少年の額ような太陽に、初恋の恋文のような若々しい木々の葉。
ファインダーを覗き、さらにメガネを挟み、そして銀塩に焼き付ける。
そうでもしないと、俺は「若さ」を直視出来ないほど、年老いたのだ。
若さに、畏怖を感じる時がある。
河原で何をするわけでもなく、夜を待つカップル。
愛の永続性を、頭ではなく心で信じてる二人。
それを覗くと、老婆心ながら不安になる。
人生は有限である。
眠りは死の従兄弟であり、沈黙は死の息子だ。
夜を待つのではなく、迎えにいく。
そして、多くの人と、多くを語らう。
夏の夜は息が長く、まるでバードマンのカメラワークのように、切れ間なく続く。
白いヘインズが汗を吸い、草臥れるまで遠回りをして進もう。
季節によって、言葉は紡がれる。
季節によって、言葉は紡がれる。
前方に太陽があるときに、影は視界に入らない。
まるで、日常が輝きますと死が姿をひそめるように。
ただ、確実に、足元に死はまとわりついている。
夜の底に、トイレにいく。
戻ってきてみると、彼女の毛布が剥がれていた。
可哀想だったので、彼女に毛布をかけ抱き寄せた。
すると、俺の胸に2度顔をこすりつけ、彼女はまた寝た。
季節によって、言葉は紡がれる。
悠久ほど、泡沫に。
甘い日々は、飛び魚のように、時間の海原をすべり、視界から消えていく。
永遠に続いて欲しい日ほど、一瞬に過ぎ去るんだから、人生はケチな野郎だ。
忘れていくことすら、忘れていく。
思い出は冷たい奴で、感情が呼んでるのに定時通りには顔を出さなかったり、時間を違えて、さもしい夜にやってきがる。
俺は賢しいふりをしているだけの人間なので、多くを忘れていく。
そして、誰かに、同じことを何度も聞く。
写真を撮り、歌詞を綴り、それでも忘れてく。
一番長く付き合った彼女のシャンプーの銘柄、死んだあいつから貰ったオイルライターのロゴ、
シンガーのあの娘と別れた後にみた映画のラストシーン、
図書館でたまたま借りて偉く気に入ったハードボイルド小説のタイトル、
あの夜になぜ死なずにすんで、なぜ今も生きれてるか。
そして、多くの穏やかな日常に、この身を浸してると、忘れてくことすら忘れてく。
沈黙は死の息子なのか
音楽が忙しくて、更新がないがしろになってました。
アルバムができ、少し落ち着いたし、何かを書いていこうと思います。
言葉を紡ぐのは、俺にとってライフワークであり、ここは俺の感情の源流に近しい場所です。
観客がいないのに演じる役者がいた場合、それは演じているのではなく本人の性分なのでしょう。
見る人がいるかもわからない、暗闇に話しかけ続ける。
そういった、キチガイじみた行為があり、初めて暴力的なこの世界との調和を保てるのです。
俺は、独り言を残す嫌いがあります。ただ、 SNS はスクラブル交差点みたいなところです。
もし、そこで羞恥を行えば、望まぬ声が耳に入る。
ここは、路地裏のカウンターしかない、小さな BAR のようなものだ。
さぁ、また、緩やかにペンを走らせ、キーを叩き、画面を撫で、単語を、文章を、句読点を、引き連れ、自分と向きあおう。
無理にとは言いません。
週末はあなたはお忙しいでしょうから、平日の夜の底に、寝れない夜にでも、覗いてみてください。